ついに発売される『ホグワーツ・レガシー』は19世紀末の物語だ。では、これまでの魔法界はどんな歴史を辿ってきただろうか? 誰がいつ生まれ、どこにいたのだろうか?
本記事では、19世紀のホグワーツに飛び込むためのちょっとした情報整理を行う。ハリー・ポッター、ファンタスティック・ビースト、そしてそれ以前の魔法界とマグル界を一緒に見ていこう。
※この記事にはハリー・ポッターシリーズおよびファンタスティック・ビーストシリーズの重大なネタバレが含まれています。
20世紀:ハリー・ポッターシリーズの人々
ハリー・ポッターとその仲間たち(1980年)
原作小説を通しての主人公であるハリー・ポッターは1980年7月31日生まれ。日本では王貞治が現役を引退し、アメリカ合衆国ではロナルド・レーガンが大統領選で当選した年だ。
父親のジェームズ・ポッターは純血の裕福な家系だった。元々長い歴史を持つポッター家は財産を有していたし、ハリーの祖父にあたるフリーモント・ポッターがスリークイージーの直毛薬を発明したことで莫大な利益を得たからだ。
余談だが、この「スリークイージーの直毛薬」はハリーたちが4年生のときに作中でも直接登場したのを覚えているだろうか。ダンスパーティーに出席するため、ハーマイオニーが自身のくせ毛を整える際に使っている。
ハリーたちがホグワーツに入学するのは1991年。ソビエト連邦が崩壊し、長い東西冷戦が終わりを迎えた年だ。あまり関係がないように思えるかもしれないが、意外な人物がこの史実と関わってくる。クィリナス・クィレル先生だ。
クィレルは1990年の年度末から休暇を取り、1991年までアルバニアに渡航していた。彼はそこでヴォルデモート卿と出会うわけだが、当時のアルバニアはまさに社会主義国家から解放路線への転換期。激化した反政府デモに当時マグル学教授だったクィレルは何を思ったのだろうか。
親世代(1960年)
ジェームズ・ポッターとリリー・エバンズを始めとする、主人公たちの親世代は1960年前後に生まれている。悪名高き「悪戯仕掛人」や、彼らと複雑な関係にあるセブルス・スネイプはこの世代だ。アーサー・ウィーズリー、ルシウス・マルフォイは彼らの先輩であり、少し年上にあたる。
あらゆる物事が加速した時代だ。日本ではカラーテレビの放送が始まり、フランスでは初めての核実験が行われ、アメリカではジョン・F・ケネディが大統領になった。
物語の舞台であるイギリスではビートルズが大流行。ロックやモッズが反体制的な若者の象徴として定着し、様々な社会運動の下地になっていった。原作で登場した「妖女シスターズ」もこの流れを汲むロックバンドだった。
1960年代、世界では現代社会の問題ともつながる運動が始まった。アメリカ公民権運動だ。キング牧師のスピーチは誰しも耳にしたことがあるだろう。植民地主義によって発展を遂げたヨーロッパ諸国にとっては他人事ではない。南アフリカの人種隔離政策が問題視されたのもこのころだ。
魔法界ではどうだっただろうか? 原作者J・K・ローリング曰く、「マグルの探検家が発見するよりもずっと早く、ネイティブアメリカンやアフリカの魔法共同体とヨーロッパの魔法共同体は対等なつながりを構築していた」とのことだ。
もちろん、魔法界間のつながりが対等だったからといって、個々人が対等であるという価値観を持ちえたとは限らない。アフリカの歴史ある魔法学校ワガドゥーがあるのは、旧イギリス植民地であり現在もイギリス連邦加盟国であるウガンダだ。
歴史的な国家間の軋轢が魔法界の関係にどの程度影響を与えるのか。もし『ホグワーツ・レガシー』でそういった歴史面が描写されたら、より深い考察が可能になるだろう。
ヴォルデモート卿の誕生と闇の始まり(1926年)
後にヴォルデモート卿と恐れられ、そして破滅したトム・マールヴォロ・リドルが生まれたのは1926年のことだ。哀れなメローピー・ゴーントが片思いしていたマグルのトム・リドル・シニアに惚れ薬である愛の妙薬を盛ったことで彼を授かった。
やがて薬による偽りの愛に耐えきれなくなったメローピーは愛の妙薬を盛るのをやめ、正気に戻ったトム・リドル・シニアがメローピーを捨てたことでメローピーは彼を孤児院に託し、自らは失意のうちに没した。
1920年代は世界のきな臭さがいよいよ増してきた時代だ。第一次世界大戦は1919年に終結こそしたものの、その傷跡がドイツのハイパーインフレーションを引き起こし、後々までの禍根となった。1929年の世界恐慌から第二次世界大戦まで秒読み段階の時代を、トムはマグルの孤児院で過ごしたわけだ。
トムはホグワーツに在学している間も夏季休暇はロンドンのウール孤児院で過ごすことを余儀なくされた。1940年の9月から1941年の5月にかけてナチス・ドイツが行ったロンドン大空襲では彼が過ごす孤児院も被害を受けたことだろう。
そんな時代に後世まで残るカリスマ的指導者であり、冷徹な虐殺者でもある人物が活動していた。ゲラート・グリンデルバルドだ。
19世紀:ファンタスティック・ビーストの人々
ここまでは時代を遡る形で辿ってきたが、ここから先の時代について言及するためにはとある二人の老人をあらかじめ登場させておく必要がある。
その二人とはもちろん、ゲラート・グリンデルバルドとアルバス・ダンブルドアだ。
ゲラート・グリンデルバルドの誕生と「より大きな善のために」(1883年)
ゲラート・グリンデルバルドはこれまで登場した人物とは違い、ホグワーツの卒業生ではない。北欧のダームストラング専門学校で闇の魔術を学んだ。闇を許容するダームストラングですら彼の歪んだ実験と攻撃性は許容できず、16歳で退学処分になっている。
1883年頃に生まれ、1899年で退学処分。19世紀の終わりを失意のうちに迎えたであろう彼は、後に悪魔的カリスマとなって帰還することになる。より優れた存在である魔法族が、非魔法族を含む世界を支配するという思想を掲げる革命家として。
魔法族が隠れ潜むようにして暮らしているのは、1692年に施行された「国際魔法使い機密保持法」によるものだ。その背景にあるのは、14世紀から激化した魔女狩りだった。
我々の知る歴史では15世紀に市民の不安感情が引き起こした集団ヒステリーとして知られる魔女狩りだが、明確に魔法使い・魔女が存在する魔法界では14世紀から迫害・排斥が行われていたようだ。魔法史家のバチルダ・バグショットを大叔母に持つゲラートにとっては常識の範疇だっただろう。
ゲラートはこの現状に疑問を抱いた。怒りもあっただろう。魔法を使える者が隠れ住み、そうでない者がのびのびと暮らす世界はおかしいと考えた。それに加えて、映画3作目でゲラートを演じたマッツ・ミケルセンはゲラート個人がマグルに個人的な憎しみを抱えていたと解釈している。
歴史上、魔法使いや魔女は人間から良い扱いを受けてこなかった。そして――グリンデルバルドの過去に関する私個人の解釈だが――私の直感では、彼は若いときに、なにか許しがたいこと、または非常に残酷な扱いを経験したらしい。それでマグルを憎むようになった。日ごとにそれが強くなり、マグルには良いところなどなにもないという信念を固めていった。 ――マッツ・ミケルセン(ゲラート・グリンデルバルド)
Kloves, Steve; Rowling, J.K.. ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密 映画オリジナル脚本版: 「ファンタスティック・ビースト」映画オリジナル脚本版シリーズ 第3巻 (ファンタスティック・ビースト (Fantastic Beasts)). Pottermore Publishing. Kindle Edition.
やがてゲラートは目標にふさわしい力を得るため、死の秘宝と呼ばれる伝説を追い求め大叔母の住むイングランド西部の小さな村「ゴドリックの谷」へと向かった。そして、そこで運命的な出会いを得た。それは悲劇の始まりでもあった。
アルバス・ダンブルドアの誕生と長い苦しみの始まり(1881年)
アルバス・ダンブルドアは1881年の夏、モールド・オン・ザ・ウォルドという村に生まれた。魔法族が多く暮らす村で、弟のアバーフォースとともに母親のケンドラへ読み聞かせをせがむ微笑ましい少年時代を過ごしていた。
しかし、悲劇が起きた。
妹のアリアナがマグルの少年たちに魔法を使っているところを目撃され、少年たちからひどい攻撃を受けたのだ。アリアナは精神的にひどく傷つき、彼女の魔力は不安定で暴走しがちになった。父親のパーシバルは少年たちに復讐し、その罪でアズカバンへと収監され獄中死した。
周囲の目を恐れ、母親のケンドラは子どもたちを連れてゴドリックの谷へと移り住んだ。そこで妹の世話をし、家族で静かに過ごす日々。しかし、1892年に転機が訪れた。ついにアルバスの元へとホグワーツへの入学許可証が届く。
アルバスはホグワーツが始まって以来の秀才だと噂されるほどの優秀さ、別け隔てのない人当たりの良さ、そして若者らしい挑戦意欲を存分に発揮した。多くの賞を受賞し、様々な著名人と縁を結んだ。
1899年6月、ホグワーツを卒業したアルバスは卒業旅行として友人と世界を巡る予定だった。しかし、アリアナの魔力が暴発したことで、母ケンドラが他界。アルバスは家長としてゴドリックの谷に残り、弟妹を助けなければならなかった。
そんなときにやってきたのがゲラートだった。優秀な二人は惹かれあい、恋に落ち、ともに世界を変える革命の計画を打ち立てた。より大きな善のために。
その関係は長くは続かなかった。計画のためにアルバスが家を空けることに反対したアバーフォースを、ゲラートが攻撃したのだ。激しい決闘は、争いを止めようとしたアリアナが死亡するという悲惨な結末を迎えた。
ゲラートは去っていき、アルバスは己の愚かさに打ちひしがれ、そしてアバーフォースは妹の葬式で兄の鼻をへし折った。
ニュート・スキャマンダーと世界魔法大戦(1897年)
満を持して、彼の登場だ。
ニュート・スキャマンダー。1897年生まれで、1908年にホグワーツへ入学した。映画版の描写に従えば、当時のアルバスは闇の魔術に対する防衛術の教授としてホグワーツで教鞭をとっており、ニュートもまた教え子の一人だった。
ニュートは1913年に友人のリタ・レストレンジを庇い、ホグワーツを去ることになった。彼が退学になったのか、学籍は残っていたのかは公式でも統一された見解が出されていない。ともかく、ニュートはもうホグワーツにはいられなかった。
19世紀末に生まれ、20世紀初頭に社会に出た彼は、意外なことに第一次世界大戦にも参加している。もちろん、国際魔法使い機密保持法があるため、直接魔法使いとして従軍したわけではない。魔法省の機密プログラムによる特殊作戦に参加したのだ。
ニュートは東部戦線でウクライナ・アイアンベリー種という凶暴なドラゴンを戦わせた。残念ながらこのドラゴンはニュート以外なら敵味方構わず誰でも食べてしまい、計画は中止となった。
マグル社会から魔法界を秘匿するという国際魔法使い機密保持法の趣旨に反した特殊作戦だが、こういった「建前を守るために公にはならない、有志による特殊作戦」は歴史上そこまで珍しいものではない。スペイン内戦における義勇軍も近い性質を持っていたと言えるだろう。
その後、彼は1914年から魔法省に勤め、魔法生物規制管理部に配属された。当初配属されていた屋敷しもべ妖精転勤室から1917年に動物課へと転属されて以降は才能を発揮し、目覚ましいほどの出世を遂げた。彼は引退するまでこの部署で活動している。
ここでの経験が魔法動物学者の道を選ばせたようだ。1918年に出版社からオファーを受け、彼は魔法動物学者としての研究を出版することに決めた。後に作中で教科書として登場し、書籍として我々も購入できる『幻の動物とその生息地』だ。
1918年から始まったニュートの研究旅行はこの本が出版された1927年時点で5つの大陸、100の国々に及んだ。1927年、トム・リドル少年が生まれる前年だ。日本では昭和2年、現在の東京メトロ銀座線にあたる日本最初の地下鉄が上野・浅草間で運行を開始した年でもある。
魔法動物学者としてニュートが活躍を始めた一方で、ヨーロッパ魔法界の情勢は暗雲低迷そのものだった。ゲラートは信奉者を集め、そのカリスマと恐怖で支配し、そして彼を追う闇祓いはことごとく敗北していた。
ゲラートとアルバスの戦いがどのように推移するかは今後の「ファンタスティック・ビーストシリーズ」に期待するとして、結論から言えば1945年に決闘が行われ、アルバスが勝利した。ゲラートは彼の居城であったヌルメンガードに投獄された。
そして1945年、トム・リドルがホグワーツを卒業し、物語はハリー・ポッターへと進む。
『ホグワーツ・レガシー』の時代
ヴィクトリア朝後期のロンドン
我々がこれから降り立つ『ホグワーツ・レガシー』の世界は、これらの物語よりほんの少しだけ昔の時代である19世紀後半を舞台としている。19世紀後半のイギリス、つまりヴィクトリア朝の後期だ。
思い浮かべるのは名探偵シャーロック・ホームズだろうか、それともディケンズが描く貧しい市民たちだろうか。産業革命の光と拡張主義の熱によって豊かになったこの時代は賛美されがちだが、その影には労働者階級と資本家階級の冷たい格差があったことは明記しておくべきだろう。
1851年のロンドン万国博覧会、1853年から1856年まで続いたクリミア戦争、ともにイギリスはその栄光を世界に見せつけた。しかし、1873年の大不況以降のヴィクトリア朝はそれ以前とは違い、常に緊迫した情勢に置かれていた。
ヴィクトリア朝中期の輝かしい発展と進歩は過去のものとなった。アメリカ合衆国、ドイツの急速な工業化によって生産力でイギリスは追い抜かれ、さらに後発のロシア、イタリア、日本もかつての頂点であったイギリスに迫りつつあった。
さらには、1869年のアメリカ大陸縦断鉄道開通、スエズ運河完成によって世界がひとつの市場となり、カナダやオーストラリア、ラテンアメリカ諸国の安価な農畜産物が輸入された。イギリスの市場は大打撃を受けた。
植民地であるインドを支えとして、イギリスは「世界の工場」から「世界の銀行家」へと姿を変えた。世界という市場を支える金融国家へと舵を切ったのだ。
もし主人公がマグル生まれなら、このような情勢のイギリスで生まれ育ったことになる。もしかすると植民地生まれかもしれないし、場合によっては1858年に解散したイギリス東インド会社の元社員がどこかで拾ってきた子どもかもしれない。
この時代には誰がいたのか?
プレイするにあたって気になってくるのは、「原作の誰がこの時代にいたのか」だろう。
アルバス・ダンブルドアがホグワーツに入学したのは1892年だ。もしかしたら未就学児時代のアルバスとアバーフォースに会うことができるかもしれないが、彼らがゴドリックの谷で静かに暮らしていることを考えると望み薄か。
14世紀から生き続けている錬金術師ニコラス・フラメルは間違いなく存命だ。このころの彼はフランスに住んでいるだろうし、場合によってはボーバトン魔法アカデミー錬金術の講義を開いているかもしれない。ゲストとしての登場に期待したい。
意外なところでは、ホグワーツの校長としてアルバスの前任者であるアーマンド・ディペットも存命だろう。彼は『ハリー・ポッターと秘密の部屋』の冒頭、つまり1992年に他界しているが、映画版のセットでの表記に従うなら1637年生まれの355歳ということになる。
個人ではなく家系に視点を変えてみよう。マルフォイ家は間違いなくこの時代も精力的に活動していたはずだ。ウィルトシャー州に荘園を持つ彼らはまさに我々が想像する「ヴィクトリア朝的貴族」を体現しているかもしれない。
原作ではすでに没落・断絶してしまった家々が登場するかもしれない。古い純血の家系と認定された「聖28一族」はハリーたちの時代には残念ながら大半が闇に屈したか、途絶えてしまっていた。
英国魔法界の王と謳われるほどの力を有し、多くの純血と婚姻関係を持ったブラック家。後に純血至上主義の校長として悪い意味で有名になるフィニアス・ナイジェラス・ブラックは1847年生まれだ。
他にも、モリー・ウィーズリーの実家であり、不死鳥の騎士団のメンバーも複数輩出しているプルウェット家、ドローレス・アンブリッジが自らを純血と偽るために騙ったセルウィン家など、歴史のみが語られている家々の登場に期待したい。
魔法族以外の魔法界では
私が注目しているのはゴブリンだ。鍛冶と鑑定に長け、財産権に関して独自の思想を掲げるゴブリンたちは、原作では主にダイアゴン横丁にあるグリンゴッツ銀行の行員として登場した。ゲームトレーラーにも登場した彼らは、まだ多くの秘密を抱えている。
グリンゴッツ銀行は当初、ゴブリンたちに完全委託されていたわけではなかった。J・K・ローリングによって公開された学力試験W.O.M.B.A.T.の答案に従えば、イギリスの魔法族が自身の財産管理をゴブリンに任せるようになったのは1865年のことだ。
彼らがどのような契約を結び、魔法族の財産を管理しているのか。また、彼らが鍛えるゴブリン銀の正体とは何なのか。本作で情報が少しでも出てくれば、より世界に深みが増すことだろう。
『ホグワーツ・レガシー』は2023/2/11発売!
19世紀後期のホグワーツやホグズミード村を自由に歩き回り、古代魔法の秘められた謎を追う期待の新作がもうすぐ登場する。私も存分に楽しみ、気が付いた点を記事にしていく予定だ。もしかすると動画にするかもしれない。
PS4/5, XBOX、Switch、そしてSteamでも予約販売中だ。どうやらPS5版はすでにアーリーアクセスが解禁されているらしく、私は血涙を流すような思いでこの記事を書いている。
参考文献:
- 『イングランド社会史』(エイザ・ブリッグズ、筑摩書房、2004年)
- 『新版世界各国史11 イギリス史』(川北稔、山川出版社、2011年)