19世紀イギリスを舞台とした『ホグワーツ・レガシー』では多様なNPCが登場し、間接的にイギリス以外の魔法界について推察することも可能となっている。しかし、作中で提示される情報は断片的なもので、全てが明らかになるわけではない。
グリフィンドールのよき友人、ナツァイ・オナイはまさにその典型例だ。彼女は母親が占い学の教授としてホグワーツに招かれたことで、ワガドゥーから4年次転入してきた。
東アフリカ、現在のウガンダにあるとされるワガドゥー魔法学校については、原作者であるJ・K・ローリングが公開している記事を除いてはほとんど情報がなかった。彼女は極めて稀な「明確にワガドゥー出身と示された登場人物」だ。
物語の舞台をトレーラーに写り込んだ新聞等から1890年とするのであれば、彼女の故郷はまさに激動の瞬間を迎えている。
今回は19世紀のウガンダと大英帝国の植民地主義、それが魔法界にどのような影響を与えているかについて考えていこう。
ヴィクトリア湖の真珠、ウガンダ
我々の知るウガンダは東アフリカの内陸国で、アフリカ最大の湖であるヴィクトリア湖に面している。多くの河川が流れ込むヴィクトリア湖は水質的にも栄養豊富で、沿岸地域はヴィクトリア湖で営まれる漁業によって支えられている。
それだけではなく、この湖は古くから安定した交易ルートとして用いられていた。日本でも名前が知られているマサイ族はまさにこの東アフリカで長く交易を続けてきた民族のひとつだ。沿岸地域の諸民族にとって湖は文字通り命の水源だった。
そんな湖を1858年にイギリス人の探検家ジョン・ハニング・スピークが発見し、当時のイギリス女王にあやかってヴィクトリア湖と名付けた。もちろん現地ではそれまで別の呼ばれ方をしていたわけで、ヴィクトリア湖というのはイギリス式の呼び方ということになる。
ヴィクトリア湖はアフリカ大陸への影響力を強めたいイギリスにとっても重要だった。より厳密に言えば、彼らはナイル川とエジプトを求めていた。
エジプトは当時多額の借金を負っていた。地中海と紅海を接続するスエズ運河の建設、そしてスエズ運河会社の財政難によるものだ。そのスエズ運河を建設したのはイギリスのアジア進出阻止を目論むフランスだったが、負債はエジプトに押し付けられた。
イギリスはこの財政難にあったスエズ運河会社の筆頭株主となることでエジプトを財政面から支配したが、支配を盤石なものとするためにはエジプトの生命線――ナイル川の源流を押さえる必要があった。
アフリカ分割とイギリス
大前提として、当時「ウガンダ」という国はなかった。
ヴィクトリア湖周辺の豊かな資源と交易拠点を巡って、沿岸地域では古くから様々な王国が覇権を競っていた。19世紀当時にはガンダ族のブガンダ王国とニョロ族のブニョロ王国が抗争を続けており、そこにヨーロッパ諸国がやってきた。
この近辺に目をつけたのがドイツとイギリスだ。両帝国は東アフリカの利権で対立したが、最終的には条約で互いに海外領土を分け合うことで解決した。ヘリゴランド=ザンジバル条約、1890年7月1日に締結されたアフリカ分割に関する条約のひとつだ。
イギリスはこの条約で大きな利益を得た。イギリスの植民地政策「3C政策」とは、アフリカ大陸を縦断する鉄道の開通を目指すものだ。
このアフリカ縦断鉄道によってエジプトのカイロと南アフリカのケープタウンを結び、そこからイギリス帝国経済の柱であるインドのカルカッタにアクセスできるようにする。イギリス帝国の巨大な交通網が完成するのだ。
そのためにイギリスはなんとしてでもヴィクトリア湖沿岸地域を押さえる必要があった。ヴィクトリア湖の湖上に汽船を巡航させれば、英領東アフリカをよりしっかりとイギリス帝国経済に組み込むことができる。中でもウガンダは路線の中央に位置する要だ。
ウガンダを支配し、3C政策を完成させる。この野望の追い風となったのが、19世紀初頭からイギリス社会に広まりはじめた人道主義だ。19世紀の貴族や地主のような「豊かな人々」の中でキリスト教的道徳律が思い出され、社会奉仕や慈善事業が流行した。
この道徳律に基づいて行動した偉人として一例を挙げるのならば、フローレンス・ナイチンゲールがまさにそうだ。彼女はジェントリの生まれで教養があり、慈善活動の一環として医療に携わり、ついには医療の現場に統計学を導入した偉大な学者であり教育者だった。
このような流行によって、「奴隷解放」は民意を勝ち取るのに十分な看板となった。イギリスは「奴隷制を廃止する」という名目で一帯を保護領とし、ブガンダをスワヒリ語読みした「ウガンダ」を保護領の名前とした。
東アフリカの奴隷制
植民地化される以前の東アフリカに存在した奴隷制、それはアラブ-スワヒリ商人によるものだ。
東アフリカ沿岸部の諸部族は部族間での交易の傍ら、西暦1~2世紀にはもうアラビアとの貿易を行っていた。象牙、亀甲、犀角、ココヤシ油などが主だ。特に加工が容易で美しい象牙はよく売れた。我々も知るとおり、東アフリカの象たちは保護が必要なレベルまで乱獲されてしまったほどだ。
この交易が長く続くにつれ、アラブ商人が東アフリカ沿岸部に拠点を構え、同地域の商人であるスワヒリ商人とキャラバン隊を組織するようになった。
このアラブ-スワヒリ商人たちは極めて効率的なビジネスとして奴隷を売買していた。
まず、象牙の運搬人として奴隷を用意させる。そしてその奴隷はアフリカ東海岸のザンジバル島に送られ、世界各地の買い手へと送られる。買い手がつかなくとも沿岸部やザンジバル島のプランテーションでスパイスづくりの労働力になる。
ザンジバル島は当時東アフリカ全域のアラブ人にとって経済的な要だった。労働力も商品も輸送手段も、すべてがザンジバル島で揃ったわけだ。
しかし、その非人道的な繁栄は1870年代には衰退を迎えていた。1872年にハリケーンでザンジバル島内のクローブ畑が壊滅したり、1876年にイギリスが陸上の奴隷輸送に禁止令を出したりと様々な要因はあったが、東アフリカのアラブ人経済は崩壊した。
ところで、この時代はもう地域の経済が世界の経済と結びつきつつあるわけだ。どこかの地域が経済が打撃を受けたなら、他の地域が貸し付けを行うことができる。では、困窮したアラブ人はどこから金を借りただろうか?
答えはインド人だ。1870年代から1880年代にかけて、ザンジバル島のアラブ人でクローブの生産に携わっていた商人たちは3分の2がインド人に多額の借金を負っていた。不動産すら抵当に入れ、実質的な支配下に置かれていた。
これによってザンジバル島はインド人商人の勢力圏となり、アラブ人経済が崩壊したことで買い手のつかなくなった奴隷貿易は1870年代には一気に衰退した。イギリスが「奴隷制を撤廃するための保護」として一帯を支配した1890年代、奴隷の売買を行う者はすでに壊滅していたということだ。
帝国イギリス下の東アフリカ
イギリス東インド会社が存在したのと同様に、東アフリカへの進出事業を担ったのは企業だった。
Imperial British East Africa Company、帝国イギリス東アフリカ会社だ。以降は頭文字を取ってIBEAと呼称する。IBEAは1888年に勅許状を与えられ、1889年には駐在所を現地に立ち上げた。
イギリス領東アフリカを横断し、インド洋からヴィクトリア湖に接続する鉄道を建設すれば、ヴィクトリア湖を経由してウガンダにつながる。イギリスが東アフリカに求めていたのは3C政策のためのウガンダのための鉄道、言ってみれば道のための道だ。
1890年にはブリュッセル会議で「奴隷交易を抑止するためにウガンダへと至る鉄道を建設する」という宣言がなされる。もちろんこの奴隷交易抑止というのは名目であり、チャーチル自身が「ナイル川上流におけるイギリスの支配を確実にするための政治的鉄道」と自著で述べている。
こうしてウガンダ保護領はイギリス植民地となり、帝国経済の一部に組み込まれた。
ウガンダと「月の山脈」
ワガドゥーは月の山脈に隠された魔法学校で、その山腹を切り拓く形で作られている。
月の山脈という地名はJ・K・ローリングのオリジナルではない。かつて古代ギリシアの勢力圏がエジプトまで及んだころ、ナイル川の源流に関心を抱いた地理学者たちが候補のひとつとして考えていた伝説の山脈だ。
これは古代ギリシアの天文・地理学者であり、ハリー・ポッターシリーズでは魔法使いとしても知られるプトレマイオスが月の山脈を記した地図だ。15世紀に作られたラテン語での複製品で、よく見ると地図の最下方、中央から少し左寄りの位置に “Lunae Montes” と書かれた山脈がある。
当時の伝説によれば、月の山脈は万年雪に覆われており、その雪こそがナイル川の水源だと考えられていた。ヴィクトリア湖がナイル川の源流であると証明されるまで、人々は月の山脈を探し続けていた。
ハリー・ポッターの世界ではウガンダにあるとされる月の山脈。ウガンダがナイル川の源流としてイギリスの要衝になったことを考えると、偶然にしても興味深い一致だ。
魔法界の結束はウガンダを守れるか
残念ながら、植民地支配の過程でヴィクトリア湖の環境は破壊されてしまった。イギリスが持ち込んだ外来種であるナイルパーチは多くの固有種を激減させてしまったし、藻の異常繁殖も報告されている。
一方で、ナイルパーチが沿岸地域の主要な輸出品目になっているのも否定できない。我々が冷凍食品やお惣菜でしばしば口にする謎の白身魚、あれの正体こそがナイルパーチだ。癖のない白身で世界的な需要があり、日本も多く輸入している。かつては「白スズキ」と呼ばれていた。
立地にも資源にも恵まれており、農業・工業いずれにも適した国家であるウガンダだが、植民地支配からの独立以降続く政治的な混乱ゆえにポテンシャルを発揮できず、世界最貧国として取り残されたままになっている。
イギリスとウガンダは切っても切れない関係にある。それはウガンダがまだイギリス連邦加盟国であることが如実に示している事実だ。
19世紀のイギリスを舞台にした『ホグワーツ・レガシー』でワガドゥー魔法学校出身者が登場したということは、国家が支配-被支配の関係にあっても魔法界は対等なつながりを維持していることを示唆しているのではないだろうか。
時代的には本作の先に位置する『ファンタスティック・ビースト』の続編でワガドゥーが登場した際は、イギリスとの関係にも注目して見てみたい。
参考文献:
- 『經濟學論叢』40巻4号より「ウガンダ鉄道と英領東アフリカ 植民地鉄道の現地経済への影響」(林一哉、同志社大学経済学会、1989年)
- 『イングランド社会史』(エイザ・ブリッグズ、筑摩書房、2004年)
- 『帝国の手先 ヨーロッパ膨張と技術』(D・R・ヘッドリク、日本経済評論社、1999年)
- 『ウガンダを知るための53章』(吉田昌夫・白石壮一郎、明石書店、2012年)